初代:寺田太郎兵衛 鰹節製造を始める。
江戸時代「西の大関」と呼ばれた屋久島鰹節。
私たち丸眞の歴史は、江戸時代の文化年間、現当主から数えて7代前の寺田太郎兵衛にさかのぼります。江戸時代、すぐれた漁場にかこまれた屋久島では家々で保存食として鰹節がつくられていました。その中で、太郎兵衛は文化5年(1808年)にこの商いを創業。以来、さまざまな苦難はありつつも明治、大正、昭和、平成と200年の時の流れを越えて商いを続けてまいりました。いまでも屋久島ではヤクサバ節づくりが行なわれており、私どもの何人かの親族もこれらを生業としています。